人間失格 京吾/鈴木/灰谷/喜多川 他

人よりも可愛らしいといわれているこの顔と、並外れた身体能力。
どうみても、僕にとっては余計な才能だ。
ただし、勉強に関してはそれなりに頑張っている。
一度手に入れた地位や権力は、簡単には自分を裏切らない。
人と違って、お金は裏切らない。
そんなことを、この世界は教えてくれたから。
飲み込みは早い方だ、といわれる。
それから、どんなに殴られても、身体を痛めつけられても、すぐに潰れたりする事のない健康な身体は割と役立っている。
尊敬する父母から贈られた、この身体。

今は亡きお父さん、お母さん。
僕は今でもあなたたちに感謝しています。

ただ一つ────、この世に僕を産んでくれたこと、
以外には。



「お前が俺の女をたぶらかしたんだよ!!」
見慣れた校舎裏で今日も知らない男達に殴られてみる。
骨を直接軋ませるようなリアルな痛みはいつも僕のこころと身体を
現実という世界とつなげてくれる。
いつもの風景だ。
「ごめ・・・なさい・・・僕、そんな、つもりじゃ、・・・
ただ、・・・あの子には・・・君が・・・ずっと好きだった・・・、てこと、
教えて・・・あげ、・・・た・・・から・・・」
目の前の男子生徒の顔色が見る見るうちに変わっていく。
「余計なことすんじゃねえ!!」
一際、力を入れているであろう、パンチが腹を直撃する。
「ごふ・・・っ」
すこし効いた様なそぶりを見せてやると、得意気な顔をしだした。
ちぇ・・・どうせなら、顔をなぐってくれたら、良かったのに。
女の子に人気の可愛らしい顔だなんてありがたくもなんともない。
殴られてつぶれて、皆が目をそらしてくれるようになった方がどんなに楽かわからない。
中学時代で得た教訓である。

「鈴木さんがここまでにしてくれるらしいからありがたく思っておけよ」
「そうだそうだ。鈴木さんが本気出したらこんなもんじゃすまねえんだからな」
へえ。こいつ、鈴木っていうんだ。
まあ、どうせすぐ忘れるけど。
「おい天音、お前の態度によっては、この辺にしてやってもいいが・・・
そうだな、地面に頭こすり付けて、土下座しろ」
そんな風に仁王立ちでいばりつける鈴木とやらを見て、少し迷う。
うーん、もう少し殴られてもよかったんだけど・・・。
まあ、今日はもう少し調子に乗せてみるか。
「す・・・すみませんでした・・・っ、もうっ、鈴木さんの邪魔は、しませんので・・・今日は、ゆ、許して、ください・・・」
一際哀れさを誘うような涙声で心にもないことを言ってみる。
演技力に関してもたいした才能だと自負している。
飲み込みは早いのである。
「フン、なさけねえな、おいお前ら、もう行くぞ」
男達の足音が聞こえなくなるまで頭を地面につけておきながら、僕の表情からは笑いが貼り付いて離れない。
さて、弱い奴らからはさんざん楽しませてもらったし、今日の『夜の部』も力が入りそうだな・・・。
そんなことを考えながら地面に頭をつけてニヤニヤしていると、馴染みのない気配がふわりと近づいてきたのがわかった。
「あの・・・、天音くん、大丈夫??」

顔をあげると、おなじ学園の女生徒がおずおずとこちらに向かってくる。
ツインテールに清楚な雰囲気。胸は大きめで顔立ちは非常に整っている。
「あの、・・・急にごめん、わたし、」
そんなことをいいながら女は自分の名を名乗ったようだったが、もとより聞いていないし、覚える気もなかった。




昼間、保健室。
いつものように体育をサボって、ベットに睡眠をとりに保健室にくると間の悪いことに灰谷がいた。

「やあ、天音。昨日は随分と派手に暴れたみたいじゃないか」
「何のことでしょう?」
真面目な灰谷の相手はいささか面倒くさい。
普通の奴なら無視するかごまかせばいいが、この教育者気取りはカウンセリングのつもりにでもなっているのだろうか、何度でも何度でもしつこく話しかけてくる。表の世界を追われた、闇医者風情の癖に・・・。
「聞いた話によると、昨日もレテが現われて、武装したヤクザが3人ほど襲われて病院送りになったそうだ。世の中には命知らずな奴が居るものだな」
「本当、馬鹿なやつですよね・・・ヤクザも、その立ち向かっていったとか言う奴も」
「・・・、まあ、いいさ。放っておけば一般人を強請ったりするようなろくでもないチンピラだし、相手の奴らも命に別状があった訳でもない。相手が命を落とすようなことがあれば、さすがに黙ってみてられないけれどな」
「殺さないように、かといって、つけあがらないくらいまでにはにある程度徹底して痛めつける。なかなか難しいけれど、悪くない難易度だ。最近ハマってる、遊びのひとつですよ・・・」

ストレスがたまってくると、それだけ欲望が強くなる。誰かを目に見える形で痛めつける欲望。

痛みの共有。
復讐の代替。
悪を駆逐したら正義の味方になれるだろうか。
そんなわけがない。馬鹿馬鹿しい。

「─で、その顔の傷はヤクザ相手に不覚をとったのか?」
「まさか。ちょっと同級生相手に遊んでもらってただけですよ。」

武装したヤクザを切り刻む。
その傷口と痛みを訴える呻き声は、僕の心にさまざまなものを侵食させていく。
喜び、憎しみと興奮、そしてほんの少しの後悔と罪悪感。
殴り、切り刻めば痛いのだろう。きっと痛いはずだ。
ああ、そうだ。もっと悲鳴をあげればいい。尊敬した家族を奪い去った、悪党風情のことなど知ったことじゃない。

だけど、他人の痛みなんてちっともリアルじゃない。

ルックスも頭脳も身体能力も、あらゆる能力に関してコンプレックスを覚えたことのないこの身体は
僕の尊敬する両親が残してくれた最高の宝であることに違いはないけれど。

その分僕にはもとより、他人の痛みがわからないという弱点があった。
学校でも孤児院でも、周りの人間は例外なく退屈で、些細なことで敵対してきたり、
そうでない者は仲間だといって擦り寄ってきた挙句、傷つけられたといって詰っては去っていったりもする。
だったら痛みってなんなんだ。
人から痛めつけられたらそれが分かるのだろうか。
痛みを覚えたら、他人の気持ちが分かるようになるんだろうか。

わからない。わからないから、とりあえず痛めつけられてみたらいい。
そんな稚拙な論理が、この『遊び』の出発点だったはずだった。
武装しているはずの格上の『ヤクザ』を痛めつける代わりに、
丸腰のはずの格下の『同級生』に痛めつけられる。
そうすることで自分のなかに残る僅かばかりの倫理と良心に折り合いがつけられる、と、そんな風に、思っていた。

「自傷行為も、ほどほどにするんだな。
そんなことで、何かがわかるとは俺にはとてもおもえないが、まあ若いうちは、いろいろやってみるのもいいんだろう
俺の若い頃に至っては・・・」
そんな風に分かったような分からないようなことをいいながら、自分の高校生活の話などし始める。

この見当ちがいのお説教をする保険医のことが僕はなかなか嫌いではない。
結構常識をふまえつつ良心的で時々はいい事を言ったりするのに、胡散臭い外見のためになかなか人から理解されにくく、
他の教師陣から良く怒られたりもしてるらしい(髪を切れ!とか)。
虎桜組のことといい、この保険医といい、大人の中にはなかなか面白い奴もいる、ということは少しだけわかったが、
やはり学校は退屈だ。

「そういえばお前の学年にくみちょ、・・・おっと、ここでは理事長でもあるのか。その、娘が入ってきている、とのことだぞ」
「へえ・・・」
「色白で胸が大きくて、髪の毛をこう、いつも二つに結んでいて、かなり美人で目立つ部類らしい。
お前も今度仲良くなって見たらどうだ」
「嫌ですよ。何のために・・・」
「組長ほどの人物の娘さんだからな。お前にとっても何か有意義な人物かもしれない」
女ごときにそんな奴がいることがありえるだろうか。
そう思いながら僕は、灰谷の言った特徴から最近良く話しかけてくるようになった名前も知らない彼女の顔を思い浮かべたのだった。

*
*
*

昼休み、教室に戻ると、僕の机の上には、僕のものと思われる教科書の山の上に、ありえないほどの残飯がかけられていた。
ご丁寧に、そのうえに牛乳までかけられ異臭を放っている。
ああ、成る程、いじめ・・・ね。
教科書代も出せないくらいの複雑な家庭環境と思わせてしまっているのもまずかったのだろう。
このくらい、朝生に頼めば買いなおしてくるくらいは何てことないが・・・
「ひどいことするなあ・・・」
ふと、きのう校舎裏に呼び出していちゃもんをつけてきた男子生徒が、にやにや笑いをしながらこちらを伺っているのに目が合った。こいつが主犯格か・・・名前も覚えてないけど。
教科書といい、食べ物といい、なんで物に当たろうとするのだろう。
何不自由なく生きてきた一般の男子校生の行動原理はまったく理解できない。
心配そうにこちらを見遣る者、噂話に興じる者など、他の生徒も退屈な者ばかりだった、

こんなつまらないことをするくらいなら、顔でも殴ってくれたらよかったのに。

保健室は、嫌いじゃないから。

「まあ、仕方ない、片付けないとね」
もうすぐ次の授業がはじまる。
残念なことだけれど出られないことを前提に片付けるしかないか、と、僕は机ごと持ち上げて教室をあとにした。


焼却炉にたどりついて、ごみの整理をはじめようとすると、どこからか、一人の女子生徒がこちらへと向かってきた。
「あの・・・心配で来ちゃった・・・。」
心配・・・?
みれば、先日から何度か話しかけようとしてきているツインテールの女生徒だ。
なるほど、この状況を見て追ってきたと言うことはいうことは同じクラスなのかもしれないな。
そんなことすら、僕は覚えていなかったくらいなのに。
心配、なんて、

迷惑なくらいだ。

「僕なら一人で大丈夫だよ。授業に遅れちゃうから、君は早く戻りなよ」
最大限、優しい笑顔をつくって、おだやかに、しかしきっぱりと拒絶の意思を示したつもりだった。
しかし、この無神経なツインテールは、私も手伝う、などと寝言を言いながら、実際には手伝うこともなく、自分の中学時代のいじめ体験などを話し始めるのだった。
いったいこの女は何がしたいのだろう?
僕のように心が凍りついた人間の近くに居て、お説教なんかで、心を動かそうとでも思っているのだろうか?
君達を騙した上でわざといじめをさせているような人間なのに。
君達の知らないところでヤクザを半殺しにしているような人間なのに。
そんな僕に、一体何を期待しているっていうんだろう?

その時、ずっと凍り付いているとばかり思っていた僕の心が、激しく、揺れ動いた。
「・・・・・・っ・・・・・!」
そこには、ごみと残飯と異臭にまみれた、教科書だったものと一緒に混ざって、
けがされていたものは、

「天音くん・・・・これ、・・・お守り・・・?」
うかつだった。ペンケースの中に入れたまま、いつのまにかそこにあることさえもずっと忘れていたような学業のお守り。
それは、僕の家族がいなくなってしまう少し前に、母が僕と妹にプレゼントしてくれたものだった、はずだ。
『勉強は頑張った方がいい、それはお前を裏切ることはないから』
そういったのは、父だったろうか、母だったのだろうか。
そんな風にいわれたこと自体は普段はすっかり忘れていたのに、その考え自体は心に刻みついていた。
父と母が、家族が、確かに生きていたこと。
生きて、僕の家族として、確かに通じ合っていたこと。
その証だったのかもしれない。

何だって頑張ってきたんだ。
僕は天音家の息子だから。
やれば何だって出来るって、知ってたから。

脳の内側から、ぐらぐらするような感覚。
押し寄せてくる記憶の波。
幸せな頃。
暗転。
惨劇。
孤児院。
そして・・・レテ。
『俺にも事情があるからな・・・お前のしていることは金輪際見逃してやる。そう約束しよう』
よくは知らない、だけど聞いたことのあるような誰かの声が、耳元で囁く。
そして暗転。
『お前は、幸せになろうなんて思うなよ』
頭が・・・いたい。
「天音くん・・・天音くんっ・・・どうしたの?ねえ、天音くんったら」
壁を一枚隔てたような遠くで、知らない女が何か叫んでいる。
けれど僕は、もういつもの自分など喪失していた。

「うるせえんだよ!一人でさっきからごちゃごちゃと、勝手なことばっかり喋りやがって・・・!
お前のことなんて、顔も名前も覚えてない、覚える気もないし、ずっとどうでもいい事話しかけてきて面倒くさいって
思ってたんだ!知った風なことばかり言いやがって、思い上がるんじゃねえよ!!
お前なんて大嫌いだ!しつこい女は大嫌いだ!傍に居て心配ぶってるような奴なんて俺にはちっとも必要じゃねえんだよ!!」

『幸せになろうとなんて思うなよ』?そんなことはわかっている。わかった上でヤクザを切り刻んでるんだ。
かわりに殴られることくらいじゃ、贖罪にはならないのか?
贖罪もままならないまま、更なる痛みを求め続けて、その先にわかることなんて、あるのか?

「もう俺の前に二度と姿を現すな!早く・・・早くどこか行けよ・・・!」
もう何を口に出していたのかも分からない。
もしかすると、まずいこともバラしてしまったのだろうか。
女は、両手で顔を覆いながら走り去っていった。泣いているのかもしれない。
畜生、なんで女って、勝手に何かを期待しては、勝手に傷ついたとかいって責める様な真似するんだよ・・・!


ああ、そうだ。

これが身体の傷であるのなら、
ヤクザを傷つけた罪悪感のようなものを、同級生に傷つけさせることで、身をもって償うことができたけど。
誰かの心を傷つけることで犯した罪は、何をもって償えばいいんだろう。

自分が何かに傷つくことで、贖罪になるのなら良かったのに。
自分が何かに傷つけられたら、それで少しは安心できたかもしれないのに。


取り乱していた状態から立ち直ったところで、自分の凍りきった心を再確認する。
誰かの言葉に、仕打に、傷つけられることなんて、僕にとってははほとんど無いことのはずだった。
でも誰かを傷つけることのほうはいつもひどく後味の悪い思いばかりが残っていく。

幸せになろうとなんて、ちっとも思ってなんかない。
それは僕の犯してきた数々の罪に対する、たったひとつの、そして永遠の、罰なのだろうか。
そう考えると、少しは気持ちが楽になれるような、気がした。

授業時間の続く午後の校舎はまるで人っ子一人いないみたいに静まり返っていた。
まるで世界に僕一人だけが取り残されてしまったかのように。

いいだろう。それでいい。
僕はこれからもこうして、果てしない復讐に身を任せながら、その永遠の罰として一人の世界で戦っていくだけだ。
それだけだ。

今までどおりだ。




















つづきます。。。


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