◆にゃんにゃん空手教室*若頭/京吾(過去編)

「これが正拳突き。通常はこれを5000本。騎馬立ちのままで腕に力を入れて行う。引き手も忘れるな」
「はいっ」
「そうだ、上手いぞ京吾。・・・突きは攻撃の全ての基本となるものだ。相手を確実に倒したければ正確な突き、そして力強い足腰が大事だ。何事も基本をおろそかにしないことだ。これは空手だけではなく、全ての鍛錬に通じる最も大事なことと覚えておけ」
「はいっ。勉強になります!」
「よしっ、いい返事だ!そして大事なのはここからだ。武道というものは気合の強さで勝負が決まるといっても過言ではない。特にここぞという攻撃には相手を威圧することで戦局を大きく左右するであろう。そこでもっとも強い突きを繰り出す時は相手を殺せるくらいの目線と大声で気合をあげる。掛け声は『にゃー。』だ。わかったな?」
「はいっ」

------いいなあ、この素直さは。
那由多龍。27歳になる。
虎桜組に入って早数年。
若頭、と呼ばれる地位と権力を得ることになるのはまだ先の話だが、このころの龍はスミスや山木といった年上の弟分を持つ程度には組の中でも権力を持ち始めている。組長の信頼は厚く、格下の組員からは慕われ、格上の組員からは可愛がられる。
自他共に認める人付き合いの上手さとある種のカリスマを備え、次期組長も噂される龍であったが、どうもそれにはしっくり行かない部分がある。
慕われていると入っても、皆、友達のようにフレンドリーな関係が当たり前となっており、本当の意味で尊敬されるような立場にはなりえていないのだ。同じく次期組長候補とされる朝生には、人望はないが人を従わせるカリスマがある。
内心やきもきしている龍の元に現われたのが、京吾であった。

「にゃー。」

天音京吾。
女の子のように可愛らしい顔立ちに天使のスマイルを持つこの13歳は、最近組長がどこからか拾ってきて、『鍛え上げてやって欲しい』と龍に直々に頭を下げにきたのであった。

「にゃー。」

一説には孤児院から拾われてきたとの噂もある。本人は孤児とはいえ、自分達からみれば一般市民。ヤクザとして生きていくには相当な抵抗があったようで、組長からも見習いとして、家事や会社関係の雑務のみを手伝わせ、決して裏の世界を見せることのないように。と念を押されていた。
言うまでもなく、(他の組については知らないが)ヤクザの組織としてはこれまでに例のなかったことである。一体そこまでして京吾をつれてきて、こうして育ててやろう組長の意図は一体なんなのだろう・・・。

「にゃー。」

それにしても、と龍は思う。
美少女とみまごう愛くるしい顔立ちに華奢な身体。
とめどなく流れる汗。
疲労のためもつれ始める足を必死に大地に落ち着け、
かすれるようなか細い声でそれでも搾り出す掛け声が「にゃー。」
んー、結構イケるんじゃない??
龍にはどんなに可愛らしくても男を愛でる趣味は持ち合わせていなかった。
が、やっかいなことに『萌え』には独自の理論とこだわりを見せる。
(まー、俺はどうとも思わないけど、美少年好きのおっさんとか、お姉さん視点を考え合わせれば、なかなかいい線までいけるようになるような気がする・・・)

「にゃー。」

『龍兄さん。僕、もうダメです・・・。肩が・・・もうこれ以上、・・・足も、フラフラして、立っているのが・・・やっ・・・ああっ』
がくっ
『馬鹿野郎!甘えるんじゃねえ!そんなことでヤクザが勤まると思ってんのかよ!』
『わかりました!ぼく頑張ります!』
『違う!ちゃんと教えただろう!!俺の教えたとおり、言ってみろ』
『う・・・わかりました。ぼく・・・がんばりますですにゃー・・・』

がんばりますですにゃー。この辺が決めゼリフということでいいだろうか。もう少しひねりが欲しいところだがシンプルな方が汎用性は高い。多分。
龍の脳裏には一昔前に世間を駆け抜けた『ご奉仕しますにゃん!』の猫耳美少女がうかぶ。
パクリではない。オマージュとかいうやつだ。

「にゃー。」

よし、では次に如何にしてこれをビジネスに換えるかということろだが、自主制作映画なんかでどうだろう。
スミスなんていかにも映画監督みたいなうさんくさい風貌をしているので、ハリウッド映画の1本や2本とれるだろう。
力仕事や悪役は山木に任せればちょうどいいし、ヤスもちょい役にはもってこいの存在感だな・・・。
それに自分のルックスももともといいものを持っていると自負している。若いうちに映画くらいは撮っておいたほうが、将来娘ができた時に『パパは若い頃はこんなに格好よかったんだぞー』なんていうことも出来る。

『わあ、パパすごい!素敵!!わたし将来絶対パパと結婚するんだから!』『あらいやだ!娘ちゃんたらもう、パパはもうママのものなんだから結婚はできないのよ!ていうかこんなに格好いいパパを娘ちゃんに渡すことなんて出来ないわ』
『ははは・・・妻も大人気ないなあ。まあ私が若い頃からこんなに格好よかったのは見てのとおりだが、それでも私には、妻に娘、一生君達の夫でありパパなんだよ・・・安心おし・・・』『あなた・・・素敵・・・!』『パパ大好き』『ははは何をいっているんだ。家族を愛するのは当然のことじゃないか。さあ2人とも涙をお拭き・・・』『ありがとうあなた・・・世界一素敵だわ。わたしあなたと結婚して本当に良かった』『わたし一生お嫁にいかないでパパのお嫁さんになる』・・・・・・・・・・・
90年代のヒットメドレーをBGMに妄想はとどまるところを知らない。
龍の高い集中力はこのようなときにことさら真価を発揮する。
世界の全ては、今、龍ただひとりを祝福していた。


「正拳突き500本、終わりました」
「うわあっ!!!」
妄想に夢中になりすぎたのか、いつのまにか京吾が、与えられた練習を終えたらしく声をかけてきた。
「え・・・?本当にもう?早くないか??」
妄想に熱中しすぎて顔がにやけていたかもしれない恥ずかしさを隠す目的もあって、話を京吾自身のことに向ける。
いくらなんでもそんなに長い時間妄想に集中していたとは思えないし、見れば京吾自身は汗ひとつかいてない。
疲れのためにフラフラした足取りで、
『もう許してください、龍さん・・・』
『いいや許さん、どうしてもというのならばこの猫耳ヘアバンドを装着するんだ』
なんていうやりとりを予定していたわけではないが、こんなに平然とこなされたら映画制作の構想が・・・。
「龍さんが考え事に集中していたようなので、途中からは静かに気合をいれるようにしてました。5000本も突いたのはここで教わるようになってから初めてですがなかなか疲れますね。こんなことを極めている龍さんはやっぱり思っていたとおり、凄い人なんですね」
うーん、そつのない、優等生的さわやかな言い回しだが、気に入らない。もっというと、キャラ設定を覆されて面白くない・・・。

「んー、ちょっと途中からあんまり見てなかったから、あと1000本追加で」
そんな風に、軽い気持ちで言った龍に対して、京吾の目つきが一瞬豹変したように見えた。
「・・・バカか」
風に乗って一瞬そんな風に聞こえないとも取れないような呟きがどこかから聞こえてきたような気がする。
「ん、何か言った?」
「いえ、それもいいですけど、龍さん。今までの龍さんの指導のおかげで僕ももう結構強くなったような気がするんですよ。どうですか?龍さんに教わったことを踏まえて、一度組み手を試してみたいんですけど」
珍しく、自分の意見を前に出してきた京吾に気圧されたのか、気持ちが油断してしまっていたのか。
「ああ、いいぞ?」
軽い気持ちで請け負った龍の前に、邪悪な目付きを暗く光らせた京吾が襲い掛かるのは、一瞬のことだった。




***




いくらなんでも、茶番はこのへんで終わりだ。
「ちょ、たんま!京吾、待て、待てって京吾!!
俺お前にそこまでまだ教えてないのに、何で俺より凄い技使いこなして・・・なんでそんなに強ええんだよ・・・うわあああああ!!」
シュッ・・・ビシッ・・・バシッ・・・
面白いくらい若頭のボディに覚えた技が決まっていく。

なんでそんなに強いのか。
そんなものはきまっている。
生まれつきの身体能力と努力の違い、それに環境の差とか、言葉にすればいろいろあるが・・・
「覚悟が、違うんだよ・・・!」
こんなところか。
「うん、いいなあ、これ。今度決め台詞として使おうかな」
などと、独り言のようにつぶやき、うっすらと邪悪な微笑を浮かべる。

偶然にも同じような思考回路で『決め台詞』について思い巡らせていた京吾であったが、そこから妄想に発展して脱線することもなく、戦いに集中し始めるところが京吾の真面目なところであった。

バシッ・・・ビシッ・・・ドコッ・・・
「マンガみたいで格好いいですしねえ?若頭もそう思いませんか??」
もはや無抵抗に技を受け続けるだけの龍を容赦なく攻撃する京吾。
真面目な上に、性格が悪かった。

少女漫画系ファミリードラマがお好みの龍に対し、京吾はよりも超能力アクション系少年漫画を好んで読んだ。
そこが勝敗の違いだったのかどうかは定かではない。

もはや勝負がつき、龍が床に両膝をつけて倒れこんだところ。
「いやあ、龍さんの熱心な指導のおかげでこんなに強くなることが出来ましたよ。今日もご指導ありがとうございました。龍さん・・・龍さん?」
既に意識がないことも分かっているだろうに、あえて勝ち誇ったように相手を立てるような台詞をも吐いてはみるが、その目つきは敗北した獲物を完全に見下し、興味を失った者のそれであった。
やがて相手の反応がないことを確認し、誰も聞いていないことを確認してから一人ごちる。
「あんたごときは・・・俺の敵じゃねえんだよ・・・」

***

翌日

「よおー京吾ー。今日も稽古つけてやるから、早く道場来いよー」
昨日無様な負け方をしたはずの龍が、何事もなかったかのように京吾を誘いに来る。
「え・・・?あ、はい、龍・・・さん?あの、・・・昨日は・・・」
そんなはずはない。
普通の人間なら、人が代わったかのように牙をむき出した京吾に恐れをなし、二度と目前に現われないか、もしくは卑屈な態度でへりくだり始めるのがいつものパターンである・・・。
それをこの人は・・・器が大きいのか・・・それとも何か得体の知れない実力を、裏で隠し持っているのか・・・
(ひょっとして、何か通常のパラメータでは繰り出すことの出来ない超必殺技を繰り出すため、あらかじめ気力ゲージをMAXまで振り切ってここまで来たのでは・・・)
京吾はいつ相手が襲い掛かってきてもいいように、戦闘態勢の構えをつくり相手の目線を受け止める。
「何いってんの?俺格闘ゲーム系はちっとも分からないんだよ。脱衣マージャンなら大抵ワンコインでエロシーン突入できるんだけどさ、ていうかゲーセンばっかりいってるなよなー、いい若者が」
いつのまにか思考を口に出してしまったのか、若頭が何か答えてきたが、話がかみあわない。

「龍さん・・・昨日は稽古のあと、何やってましたか?」
「ああ、昨日・・・?んー、お前に稽古つけてたのは覚えてるんだけど、気がついたら床に倒れてたんだよなー」
「・・・」
「なんか楽しい妄想をいろいろ広げてた気がするんだけど、そうこうしてるうちに良く眠っちまったり、頭ぶつけて失神したりすることがあるんだよ」
「・・・」
「まー、俺もそうやってドジなところもあるわけだけどさ、京吾ー、お前も、道場に置いて帰っちまうことねえだろうよ。おかげで俺も今日はちっと風邪気味なんだぜ」

天然・・・!
これが、器の違いか・・・・・・・!!!

「すみませんでした、龍さん!あんまり僕が言われた稽古をこなすのに時間がかかったものだから、龍さんを退屈させてしまったみたいで、毛布をとりに出たところを朝生さんに捕まってしまって・・・」
あわてて、ぶりっこ仮面をかぶりなおす。

この男、絶対、本当に忘れている・・・!!
京吾は戦慄していた。
京吾が組へ来てから、大人というものに恐怖した、稀有な体験のひと時だった。

この機会をきっかけに、基本的に大人を見下していた若き日の京吾は龍に対しある意味敬意を払って接するようになった。
那由多龍、おそるべし。
その言葉は、近隣のヤクザだけではなく、幼き日の京吾の胸にもしっかりと刻み込まれることになる。



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