やまない雨と、嘘つきの永遠 セイジュ/瀬名/アーシェ/レニ





「愛してる。ずっと、ずっと好きだよ、永遠に好き」

甘くとろけるような声と、キスの音。

この世で一番思い出したくない、忌まわしい記憶の中にあるふたつの声は、いつも僕の中でとぎれとぎれに再生される。
そんな時にザーザーと頭の中にかかるノイズの音は
この世界の雨の音に似ていた。

「永遠に、忘れないで欲しい、アーシェ」

『永遠』だなんて。
とるに足りない陳腐な言葉を使うような男は双子の兄。

「わかってる、私達、永遠に恋人同士だから」

そして、そんな茶番のような台詞にもあっさりと彼女は同意するのだ。

ザーザーザー

ああ。そうだ。レニは努力家で常に現実を見据えていて、思いやりがある上に
いざという時に頼りになる素晴らしい男だと、わかっている。
僕が、いちばん知ってる。

そして彼女と永遠の運命を誓い合ったレニは、
密告なんかで二人の中を引き裂くような、生まれながらの卑怯者の僕とは違うから。

ずっとずっとそのまま、正しいままで生きていけばいい。

───偽善者が。


ザーザーと降りしきる雨の音が強ければ強いほど記憶の中のノイズの音と交じり合い
思い出したくもない記憶は、雨の向こうへと追いやられる。

雨の音を聞いていると落ち着く。
もっと強く、降ればいいのに。
ずっと長く降りつづけていればいいのに。


ザーザーザーザー

どうせ自分のものにならないんだったら
他の奴に取られるくらいなら
全部壊してしまった方が余程いい。














退屈な学校の退屈ないつもの休み時間。
ふとアーシェのほうを見ると、彼女が鞄から何かを取り出したところで目が合ったかと思うと、
こちらへと小走りに走りよってきた。
「はい、セイジュ!家庭科の調理実習で作った、クッキーだよ」
音楽と家庭科のある水曜日は彼女のお気に入りらしく、学校嫌いのアーシェもこの日だけは笑顔を見せることが多い。
「あ、でもレニの分も一緒なんだから、ちゃんと半分こして食べてね」
そんな風に、ちょっと顔を赤らめながら、言い訳する。
それにしても、半分こ…。
この子は僕とレニの関係を何だと思っているんだろう?
一つ屋根の下で暮らしていて尚、僕達が一つの食料を分け合うような仲睦まじい関係だと感じているんだとしたら、相当に頭がおめでたいか、もしくは馬鹿だ。

「そんな事言って、本当はレニのために作ったのに、僕に見つかってしまったから仕方なくそんなことを言うんだろう?」
「…!」
試しにそんなことをいうと、傷ついた顔をして、その場でうつむいてしまう。
今の彼女がレニのことなんて全然見ていないことなんて、僕にだって分かるのに。

魔界での別れの時の二人の、熱い抱擁も、涙ながらの誓いも決して『永遠』などではなく。

何もかも忘れてしまった彼女は、今度は僕の方なんかに尻尾を振りつつ『魔王になって欲しい』などと擦り寄って来る。
そんな取るに足りない、顔が可愛いだけの馬鹿な駄犬は、レニよりもむしろ、僕のペットにふさわしい。
密告などで二人の仲を切り裂いたような、つまらない、卑怯者の僕に。

「ひどいよ、セイジュ。私は、いつもセイジュが話を聞いてくれて、意地悪もするけど優しくしてくれて。そんなセイジュに。
レニじゃなくて、セイジュに。お礼をいいたかったんだよ…」

こんな風にして、彼女を傷つけて、それを見ながら自分の心すら抉るような非生産的なやりとりを、僕は一体何度すれば気が済むんだろう。
いまからでも遅くないから『嘘だよ』って言って、
抱きしめてキスのひとつでもしてやれたら。
───何か変わるかもしれないのに。

僕はいたたまれなくなってため息をつき、その場を去ろうとする。
するとそれと入れ替わりを狙ったのか、瀬名が入り込んできた。

「アーシェちゃん!あっれー?何なに?クッキーじゃん!もしかして、僕のために焼いてくれたの??やっさしいな〜頂き!」
やかましく、突然現われた瀬名は、そう言いながら僕が受け取り損ねていたクッキーの袋を、奪うようにしてその手に収める。
「やっ…もう、瀬名ってば!これはセイジュと、レニのために、日頃お世話になってる感謝の気持ちで、持ってきたんだよー」
「別にいいよ、アーシェ」
アーシェが目を見開いてこちらを伺ったのを確認して、言う。
「僕は元々甘いものなんて食べないし、ましてレニと2人で分け合えだなんて迷惑も甚だしいよ。
その上君が僕に消えて欲しいと思っていて、その食物になにか毒でも仕込んでいやしないかと心配だからね。
毒見役を買って出てくれるならいっそ、瀬名にでもくれてやればいい。僕達のお下がりでかまわないのならね」
見るからに傷ついた表情をしてアーシェが黙り込んでしまう。
本当に、分かりやすい子だ。

「気にしなくていいよ、アーシェちゃん。セイジュは単に好きな子を、苛めたくなっちゃうような、
大人げなくて心の狭い意地悪な卑怯者っていうだけなんだから」
「なっ・・・!」
突然そんな事を言う瀬名に苛立って睨み付けるが、まるで怯んだ様子もなく
「セイジュは嘘つきだから、セイジュのいうことになんていちいち傷つかなくたっていいんだよ。
本当はそのクッキーだって、あんな事言いながらレニになんてひとつも分けずに、大切に部屋の中に飾っておきながら、見つめてはニヤニヤするんだよ、きっと。根暗だよね」
「瀬名ってば…」
ちょっと呆れたような反応しながら、アーシェは笑顔を見せる。
「でも今回は僕がもらっておくよ。セイジュみたく一つも食べずに部屋の中に飾っておいたんじゃ、せっかくアーシェちゃんが心をこめて作ってくれたクッキーがもったいないからね」
「うん!じゃあ今回は、瀬名にあげるね!」
くすくすと、楽しそうに笑うアーシェは、僕と話しているときには決して見せない表情をして、
そうやってあっさりと、場を自分のペースにもって行った瀬名に対して、訳のわからない苛立ちを感じていた。
「ん?アーシェちゃん。誰か呼んでるみたいだよ」
見ると、女子生徒がアーシェを手招きして、次の選択授業に誘っているようだ。
「あ、うん…じゃあ」と走っていく。

…友達が出来たのか。生意気な。
あとであの女子生徒、たぶらかしてアーシェに関わらないように言い含めておこう。
と、そんなことを考えていると
「そんな殺しそうな目で人を見ないでよ。セイジュ」
ニヤニヤしながら、瀬名は言う。
「殺しそうだって?馬鹿馬鹿しい。僕は女の子に対してはいつも平等に優しい気持ちで接しているよ。むしろ君のほうは、今すぐ自力で息の根を止めてくれないかなあ、とは思うくらいにはうざったいけど」
「そう?僕はセイジュのそんな、好きな子には思ってることも上手くいえないような不器用な部分だけは、結構好きなんだけどね」
そうやって見透かしたようなことを言う瀬名に、僕はまた苛立つ。
「何とも思ってないような女の子に対しては誰よりも器用にたぶらかすのに、そういうところが、レニに今一歩及ばない原因なのかな」
まただ。
「何だと?」
「正直、嫌気が差してくるよ。レニはレニで大嫌いだけど、セイジュのことはなんていうか、同族嫌悪ってやつかな。キャラが被っていて腹が立つ」
誰に言うともなく、独り言のようにつぶやく瀬名に僕は苛立つ。
「お前なんかが、…僕に似てるなんて事あるわけないだろう」
「おおありだ。独占欲が強くて、嫉妬深い癖に、それをおもてに見せないように取り繕うことばかり必死だなんて。彼女の気持ちなんてわかってやる気も無いなんて、最低だよね」

ザーザーザー
ノイズが頭の中に発生する。
もしかすると雨の音かもしれない。

彼女の傷ついた顔はすぐに思い出せるのに、
笑顔になると、ノイズがかかったように思い出せなくなるんだ。
ついさっきまでだって、彼女の笑顔は僕じゃなくて、瀬名に向いていた。

「でもアーシェちゃんは僕がもらうよ」

ザーザーザー

瀬名が何か、わけのわからない事を言っているけれど、聞こえてくる言葉は途切れ途切れで。

「嘘つきセイジュが意地を張って、どういうわけか頼ってくるアーシェちゃんを傷つけている間に、僕のところに頼ってきたアーシェちゃんをモノにする。僕は君みたいにヘマはしないよ。セイジュはきっと僕にそんな事が出来るわけない、って侮ってるんだと思うけど」
「あたり、まえだ…下級天使の、お前のところなんかに…」
「そうだね、分の悪い賭けだけど。もしも彼女が僕を選んだらその時は」

お前なんて

「僕とアーシェちゃんの2人の事を、決して邪魔しないでね」

死ねばいいのに。




それから数日ののち。
驚いたことにアーシェは本当に瀬名のところに住むという選択肢を選びとった。
「…いい考えだと思うよ」
そういった自分の声は、驚くほど乾いていて、
僕の心の動揺とは裏腹に、なにも気にしていないと相手に思わせるのに充分に平坦だった。

『嫉妬深い癖に、取り繕う事だけは必死』
だなんていつかの瀬名の言葉が思い出される。

なんて言う事だろう。自分の事があんな下級天使風情に見ぬかれていた事に愕然とし、
それでもその事実を認めたくなくて、結局のところ自分に嘘をつくことだけで覆い隠そうとする。
僕の嘘つきの仮面は、こんな時ばかりは上手に機能するのだった。

「そうそう、セイジュは物分りがいいね」
屈託のない瀬名の笑顔が腹立たしい。
内心ではどす黒い欲望にまみれているくせに、天使の笑顔、とは良く言ったものだとは思う。
それは表面上、黒い部分をさらけ出すようなスキがまったくなく、それがかえって天使という生き物の醜悪さを
証明するようだった。

「僕達も、これでまたゆっくり出来るよ」
思っても見ないような台詞を口先だけで吐くと、責めるような目線で僕を見遣るレニの視線が突き刺さり、その事だけは、僕を満足させた。

永遠の、愛なんて。

卑怯もの達の醜悪な駆け引きにすら、敵わないんじゃないか、と。






時が過ぎ。
その日も、雨が降っていた。

瀬名の家から戻ってきたアーシェは、驚いた事に瀬名のしてきた悪事を僕に訴え、もうあんな家にはもどりたくない、とまで訴えた。
瀬名の事情は詳しくはわからない。
大方、下級天使としての立場と、彼女への気持ちの板ばさみになったのだろうというところだが、
『同族嫌悪』と言った瀬名の言葉の意味が少しだけわかった気がした。

親身になって相談にのるふりをして、アーシェに近づく。
呆然と、瀬名の事でも考えているのであろうアーシェに対して、
強引に唇を奪おうとすると、彼女は悲鳴と共に僕を拒絶した。

「ひどいな。悲鳴はないだろう?あいつにはもう全て、許したんだろうに」
「ごめんなさい…」

探りをいれた一言をあっさりと認めたアーシェに、僕は少なからず落胆を覚えた。

ああ、そうだろう。

君が僕を愛していない事なんて分かってる。
そんなことは魔界から追放される前から、君がレニのことしか見ていなかったときからずっと、痛いほど分かってる。

永遠を誓ったレニのことを忘れて、
全てを許した瀬名のところから逃げてきて、
それでいて、今度は僕に追いすがって、どうするつもりなの?

それでも、君を信じられないまま、僕はまた嘘を吐き出す。
「ボロ雑巾のようになった君を、愛人の末席において置くことも楽しいかもしれないね」

ざらざらと、雨の音が、僕の台詞をかき消すように
強く、強く降りつづけて、
僕の気持ちが彼女へと届くのを、邪魔しているように、思えた。

『いいんだよ。君が僕を、何度拒絶しても、何度逃げ出しても、何度忘れても。
一瞬、一瞬で僕はその度に君にキスの雨を降らせて、信じてもらえるように、愛を囁きつづけるんだ。
だから君も、永遠なんて、信じないでいて…』

そんな風に思ったことを、口に出してつたえる事ができたのかどうか。


雨音が煩すぎて、分からないんだよ。








やがて、僕は魔界に戻り、魔王となってアーシェを正妻へと迎え入れることとなった。

そしてそれからやって来たある雨の日。


僕とアーシェとの結婚式のその日は、瀬名の処刑の日とも重なっていた。

処刑そのものを目の当たりにしながらも僕は別段何の感慨も沸かなかった。
最後まで気に入らない奴だった。

処刑され、かつて命であった塊に近づき、今はもう既に用を成さなくなった汚らしい羽を攫み
その身体から毟り取る。
皮膚が身体から剥がされる、嫌な音がした。

「ふうん、下級天使らしい、みすぼらしい羽だね」
口に出してみるとすっきりするかと思ったけれど、そうでもなかった。
立派な羽だとか、強い魔力があるとか。
生まれながらにして、強い才能があるかとかどれだけ正しいかだなんて、彼女にとっては関係がなかったのかもしれない。
レニに何もかも負けていたことで、密告という卑怯な真似をしたことで、
それが何だったっていうんだろう。

そんなつまらないことで、何もかも諦めて、分かったような気になっていた僕は
改めて自分を、無様だと思った。

花嫁を人生で一番幸せにしてやろうというこの晴れの日の舞台で。
僕は今、世界一無様だと思った。



「ごらん、これが、君がかつて愛した男の羽だよ」

花嫁に持ち帰った古ぼけた羽でつくられたヴェール、それは彼女にとって大事な思い出の品となったらしく、その取り乱し様といったら凄まじいものだった。
「瀬名、瀬名、瀬名ぁ・・・ごめんね、わたしのせいで、…瀬名…」
彼女は身体が溶けてしまうのではないかと思うくらいに、泣きつづける。
それを見ながら僕は、ぼんやりと思う。

永遠を誓ったレニとの別れのときも、彼女は同じ位泣いていただろうか。
それを忘れてしまった癖に。
今、瀬名のことでこんなにも激情に駆られている彼女は、
それを忘れてしまってもまだ、永遠を信じられるだろうか。

「ねえ、アーシェ、ごめんね、許して?」

そして僕は、彼女に一瞬のキスを何度も送る。
謝る気持ちなんて全然ないのに、優しく、嘘の許しを請いながら。

もう一度、忘れて。
そう念じて、僕は、彼女の記憶に封印をかけた。





「セイジュ、セイジュ〜」
「どうしたんだい、アーシェ」

そして今、魔王になった僕のとなりに彼女はいる。
レニのことも、瀬名のこともすっかり忘れて、幸せな顔をして。

「今日ひさしぶりにクッキーを焼いたんだ。甘いもの好きでしょ、ね?セイジュ」
「ああ」

今の僕は彼女の満面に笑顔を傷つけることなく、今日も彼女を騙している。
彼女の愛情を偽りだと、気付いてしまわないために。

「ねえ、セイジュ。永遠に、幸せでいよう?」
「永遠なんて、ないよ」

あったら、よかったんだけど。

「セイジュ、大好き」
ザリザリと雨音が時々、耳をつんざく。

「ごめんね…」
「セイジュ?」

君の永遠は既に何度も僕の手で奪われているだなんて、
どうして伝えられるだろう。
君はそんな目に合わされていてもまだ、今度は僕との永遠を無邪気に信じているんだ。

だから、せめてもう二度と君が傷つく事がないように
「ごめんアーシェ、愛してるんだ、ごめんね」
「どうして謝るの??変なセイジュ」

君を騙しつづけるのが僕の罰だから。

永遠に。










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