湯けむり旅情大作戦!(後編) 瀬名/アーシェ/セイジュ/レニ/他
「…くっ、なんてことだ」
そして誰もいなくなった旅館の一室。
風呂を覗きに行った二人がうらやましいだなんていうことは決して無い。
それどころか、まだ自分も見たことの無い彼女の柔肌があんな下賎な男達の目に触れるのだと思うと、
早くアーシェのところに先回りして、貞操の危機を守ってやらなくてはならないくらいだ。
しかし、今更あとを追ってももう風呂に着いた頃だろうし、痴漢扱いされてしまうのは自分の方だろう。
レニは気を紛らわせようと、日本庭園のほうに目をやる。
豊かに生い茂る木々は冬の木枯らしの中でも尚、その生命力を高らかに謳いあげる。
そして上品に、尚且つ豪快に積み上げられる石畳の道は、日本の伝統が生んだ庭師という職人の技を存分に生かし、芸術的
なまでに緻密な情緒を醸し出している。
「…ていうか、ダメだ」
結局は落ち着かないので、館内でも散歩してこようという結論に早くも至った。
部屋を出てしばらく歩いていると、今まで見てきた仲居とは違う、一際高価な着物と、優美な物腰をした女性が通りの向こうを歩
いていくのが見えた。
もしや、行方不明といわれている女将では??
もしそうであれば、仲居たちが心配していたし、瀬名も自分が到着した時から挨拶をしたがっていたようだ。
ここはひとつ声をかけておいて、皆を安心させてやったほうが良いだろう…。
「あの、すみません。貴方はもしかして、ここの女将では…」
「…!!」
自分では、穏やかに声をかけたつもりだったのだが、驚かせてしまったのだろうか。
女将と思われる女性は、大げさにびくついたかと思うと、着物の袂で顔を隠したまま、申し訳なさそうにつぶやいた。
「ごめんなさい…」
聞こえるか、聞こえないかというか細い声でそう言ったあと、女性は逃げるようにその場を駆け抜けていってしまった。
「…なんだ、あれは」
それにしても、美しい女性だった。
アーシェへの気持ちはもちろん揺るがないとはいえ、顔を隠したままでもわかる、あの上品な物腰と奥ゆかしい性格。
あれが瀬名の、『知人の女将』だとしたら、なるほど、自慢したくなる気持ちも納得できる。
しかし、様子がおかしい。
何かから、逃げているような、落ち着かない様子。
「怪しい…」
名探偵、もとい所轄の鬼警部としての直感が、警笛を鳴らしていた。
*
「わあ、大きなお風呂…」
石造りの浴槽も、自然の滝を模した景観も、すこし濁って変わった匂いのするお湯も、何もかもはじめて見るもの尽くしの、温泉。
豪華なオブジェで飾られた内風呂も、日本庭園の中に作られた露天風呂も、立派なものだった。
「あーあ、皆で一緒に入れたらよかったのに…」
そう、せっかく、皆で旅行に着たのに、こんなに楽しいお風呂を満喫するのに一人でいなくちゃならないなんてなんだか勿体無い。
この感動を誰かに伝えようにも、一緒に来た皆は今頃仲良く男風呂だ。
瀬名とセイジュとレニ。
あの三人が仲良くお風呂に入っているなんて想像もつかないけど、この旅行をきっかけに皆がもう少し仲良くなるといいなあ。
そんなことをぼんやりと考えながら、アーシェが露天風呂のほうに足を踏み入れると、先客の女子二人組みがいた。
若いが、アーシェよりは見た目少しお姉さん世代なので、女子大生といったところか。
(ああ、友達同士で旅行かあ…いいなあ…私にも友達がいたらよかったのに…ていうか瀬名たちは今頃どんなこと話してるんだ
ろう??)
などと思いつつ、寂しいのでなんとなく聞き耳を立てていたアーシェの耳に入ってきた会話は、想像していたような楽しげなもの
とはちょっと違うものだった。
「ねえ、そういえば知ってる?この旅館の怪奇現象の話」
「そうそう、女将の行方不明の話でしょ?そのほかにもこの旅館っていろいろとおどろおどろしい感じしない?古いし」
「そうだよね〜。悪い男に騙され続けて人間不信になったOLが傷心旅行としてやってきて、そこの崖から身を投げたとか、借金
で首の回らなくなった社長がサラ金の取立てから逃げ続けた上家族そろって、部屋で首をくくって無理心中とか…」
「あーありそうー、部屋にお札が仕込まれているとかって言う話よく聞くよね〜」
「あるあるー。なんかそういう話のある旅館って急な怪奇現象に悩まされたりして。突然部屋の電気が全部消える、とか
窓から血まみれの女の手がこちらを手招いているとかねー」
「夜中に廊下から水が滴る音と一緒に、足音とすすり泣きが聞こえてくるとか?」
「こわーい。夏向けの怪談だよね」
「あー、わたしそろそろのぼせてきちゃったから、上がらない??」
「そうだねー」
なんていう会話をしながら、女子大生達は去っていった。
「血まみれ…首がぐるぐる回転して…すすり泣き…」
残されたアーシェは、聞こえてきた会話の断片からすっかり怖気づいて真っ青になっていた。
もともと、人間の文化などにあんまり関心をもたないので、言ってることの半分くらいは分からなかったけど、要するにこの旅館
には血まみれの女や、首をくくった一家が、夜な夜な廊下を徘徊して、部屋に入ろうとすすり泣いたりとか襲ってきたりとかそうい
うことが起こる!そう、アーシェは確信してしまった。
「どうしよう〜。やっぱり、一人でお風呂なんか来るんじゃなかったよ。ちょっと恥ずかしいけど瀬名やセイジュたちに一緒につい
てきてもらえばよかったのかな〜」
なんて事まで考え始めてしまう。
「ううん、だめだめ!恋人同士でもないのにハダカを見せ合うなんて、ふしだらだよ!やっぱり」
そんな風に口に出して、怖気づいた自分を何とか元気付けようとする。
女子大生達ももう上がってしまったようだし、こんな夜の露天風呂にいつまでも一人で入っていても仕方がない。珍しさとお湯の
気持ちよさは充分に堪能したことだしもうそろそろ私もあがろう!
そう、アーシェが決心した瞬間。
露天風呂をうっすら照らしていた、外の電灯と、内風呂の電気が全て、一斉に、消えた。
「ひっ!」
『部屋の電気が全て消えて、血まみれの女の手が一斉にお湯から出てくるんだって』
そんな風に脚色された先ほどの女子大生の会話が、アーシェの脳裏に再生され続けた。
*
それよりも、少し前。
「…女子大生か」
セイジュと瀬名。二人は風呂へ到着するやいなや、早速露天風呂の方へと降り立った。
「そう、この温泉は何を隠そう、男風呂と女風呂が露天風呂でつながっているんだ。ただ、夜間は暗いし道が入り組んでいるの
でそれと気づく人は少ないから、こちらから覗いていることが気づかれない限りは絶好の覗きスポットになる。
ただし、大きい声でしゃべっちゃだめだよ、セイジュ」
「わかったよ瀬名…。むこうの話し声も聞こえないところが、想像力をかきたてることでかえって興奮するね」
実際のところ、セイジュは普段から女子大生など食い荒らしている。
たのめばいくらでも女達の方から服を脱いでくれるセイジュにとって、そこらのもてない男どものように身を隠すように裸を拝むこ
とに意味があるのかといくぶん懐疑的な部分もあった。
しかし、男の目線にさらされていない女達の裸は、直接見るのとはまた違った新鮮な印象がある。
目の前の美女二人は今、男子禁制の秘密の花園で、どんな内緒話をしているのだろう…。
「ねえ、ユリコって胸が大きいんだね、知らなかったわ。とっても素敵」
「サユリこそ。肌が白くてキレイでうらやましい…それに乳首が可愛らしいピンク色…」
「そんなことないわ。ねえ、あなたの胸、ちょっと触っていい?」
「あん、やだ、触るだけって言ったのに、揉まないで…」
「ユリコ可愛い…もっと恥ずかしい顔、させたくなっちゃった…」
「ん、いいよ、サユリなら…でも二人だけの、秘密…」
セーラーカラーの襟は乱れないように、スカートは翻さないように。
ゆっくりと歩くのが、ここでのたしなみ。
男達には決して踏み入れることの出来ない純白の世界。
ああ、これが百合…。
花言葉は…そう、純潔無垢だ!
「あっ、セイジュ!アーシェちゃんだ!アーシェちゃんが入ってきたよ!」
瀬名が興奮を隠さないまま小声でセイジュに声をかける。
その興奮にもれず、入ってきたアーシェのはじめて見る裸体は、想像以上のものだった。
王族として大切に育てられた彼女の物腰は、男の目がないからといって、生まれながらに持ち合わせた上品な佇まいが崩れる
ことも決してなく。
白く細い身体に、想像以上のボリュームをもつ二つの乳房はその完璧な美しい形を崩さず、歩くたびぷるぷると揺れる。
一人で入ってきた為か所在無さげにあたりを見回す不安そうな瞳は守ってやりたくなるほど可愛らしい。
そして普段から長いスカートに隠され拝むことの出来ない細いすべらかな脚…!
傷一つない白さがまぶしくも艶かしい。
細いながらも適度にボリュームのある腰から脚にかけてのラインにもまた、色々想像すると、興奮する。
「ああ、アーシェちゃん…なんか不安そうにしてるところが、いたいけで可愛いよね〜。いますぐここから飛び出して、助けてあげ
たくなっちゃうな〜」
「瀬名…。君ごときがそんなことをして、ただで済むと思ってないだろうね…!」
「またまた〜、セイジュだって似たようなこと考えてるくせにさ〜。一緒に住んでるくせにハダカを見たこともないんだろう?」
「僕は…!君みたいに下品で礼儀知らずじゃないからね!風呂を覗くようなマネ、今までに一度だってした事があるわけ
ないだろう…!」
「しっ!女子大生が帰る…!」
そう、瀬名が注意を促すと、女子大生が露天風呂から出て帰っていくところだった。
「まずいね…話し声が無くなっちゃったから、さっきまで以上に静かにしないと…」
そういったが最後、瀬名は無言でアーシェを視姦する態勢に入ったので、セイジュもそれに習い黙って凝視する。
うう、それにしてもなんて可愛いんだ。
しょんぼりとうなだれていても、お湯の温かさで上気する頬といい、何かに耐えるかのように涙目で開かれる大きな目といい、そ
の美しさには陰りがさすことはない。
どうしてか落ち着かない様子だけど、一人でこんな大きな風呂に入って淋しいのだろうか?
ああ、僕が傍にいてやれたらよかったのに…。
そんなことを考えながら、瀬名と二人、どれだけの時間凝視し続けていただろう。
ふと、突然、辺りの電気が一斉に消えた。
「…アーシェ…!」
「ちょ…ダメだ、セイジュ!今行くのはまずいって!!」
本能的にアーシェの傍へ駆け寄ろうとしたセイジュを、とっさに瀬名が止める。
「一時的な停電かもしれないし、今は原因を探った方がいい。それにたいした事なくてすぐに電気がついた場合、覗いていた事
がばれて困るのは僕達のほうなんだよ!?」
「くっ…」
悔しいが、さすがは覗きのプロ。とっさの判断力が違う。
「僕達なら魔力で原因を探し出すことが出来る。彼女を助けるのはそれから…っ、セイジュ!これは!!」
話をしている間に風が運んできた、この場に不釣合いな匂い、これは…
「血の匂いだ…」
*
レニがあとをつけていった不審な女は、大浴場の方へと歩いていった。
(風呂に入るのか…?)
それだったらこれ以上あとをつけても行き詰るだけだろう。
いくら事件を追う名探偵とはいえ、風呂まで尾行するようでは品性を疑われるだけだ。
そう思って引き返そうとしたレニの前に、不審な女のとった行動は意外なものだった。
(なっ…)
大浴場の入り口に入るのかと思いきやその入り口は素通りし、奥の従業員用と思われるドアの中へと消えていった。
それ自体は不思議なことではない。
女将とはいえ従業員なのだし、風呂の掃除やら何やら雑用だってするだろう。
しかし女の取った不審な行動の数々を思い返すと、それだけで素通りするには危険だと、レニの名探偵としての本能が叫んで
いた。
女が出てこないのを確認し、その『従業員用出入り口』と書かれたドアをそっと開ける。
するとそのドアは外へと繋がっていた。
(何だ…どこへいったんだ…!?)
表の日本庭園とは違って手入れのなされていない裏口は草木が生い茂り、どこに何があるのか一見分からない。
しかし女将は確かにこの出入り口から出て、どこかへ向かった。
そしてそれは、何か大きな事件の前触れかもしれない。
レニの頭の中では事件がクライマックスを迎えるBGMが流れる。
(とりあえず、ライトアップされているあの辺りだ。あの付近に、なにか手がかりがあるのかもしれない)
しかし、仮に女が連続殺人犯で、埋めた死体を掘り起こしにいったとかならどうだろう??
ライトアップされた場所をおとりに身を隠して、スコップを片手に鬼のような形相で待っているかもしれない。
いや、自分は仮にも魔王候補といわれるまでの魔力を兼ね備えた悪魔。
いくら連続殺人犯とはいえ美人女将などに不覚を取るつもりはない。
しかし連続殺人犯の美人女将が実際に攻撃してきた場合、自分は戦うことが出来るだろうか?
言い寄ってくる女どもに冷たくするのは慣れているが、自分を殺そうとする女将と本気で戦ったことなどない。
ああ、なんで自分はこう、肝心な時にうまくやれないのだろう…。
セイジュや瀬名みたく、素直に風呂にでも行っていればこんな面倒に巻き込まれることなどなかったのに…。
などとネガティブに後悔しながら、先を進む。
やがて近づいてきた場所は、なんと、女露天風呂だった。
「……!」
そこでレニの見たものは、なんと地面に這いつくばって女風呂を覗く女将、という、驚愕のシチュエーションだった。
しかし驚いてばかりもいられない。
ここが女風呂だと分かった以上、自分も身を隠さねば大変なことになる…!
そう気づき、とっさにレニも伏せる。
レニが後ろにいる以上、女将の表情までは確認できないが、古風な感じの電灯に縋りつくようなポーズで露天風呂を凝視している。
(なんだ?風呂場に、借金の末別れた旦那に無理矢理連れて行かれた、身体の弱い一人娘でも入っていて、旦那にひどい事
でもされていないかと見守らずにはいられないと、そんなところか…?連続殺人犯のくせに…!!)
勝手な決めつけから正義漢に燃え上がるレニの鼻腔に、風に乗って、思いもかけない匂いが漂ってきた。
(これは…血の匂い!!)
すると突然、露天風呂のライトアップが全て消えた。
(!!)
驚いて女将の方を見ると、ぐったりと、電灯を抱いたまま地面に倒れ伏している。
まさか、…この血の匂い、女将の血か!!
なんということだ、女将は連続殺人犯などではなく、犠牲者の方だったとは!
レニは名探偵としての自分の力不足を痛感し、自分の目の前で犠牲が出てしまったことに深い落胆を覚えながらあわてて女将
の方へ駆け寄る。
魔力をもつレニは暗がりでも足元を取られたりすることもなく女将の方へと近寄ることが出来た。
そしてそこで見た、女将と信じていた人物の顔は、レニ自身も良く知っている意外な人物だった。
*
*
*
「すみません…本当に…悪気はなかったんです…まさかこんなところにアーシェ様が現れるなど思いもかけず…」
反省しているのかしていないのか、よくわからない無表情で、鼻血を拭きながらうなだれていたのは、ユナンだった。
気配を察知してか、ちゃんと服を着た上でセイジュと瀬名もかけつけ、すぐさま風呂場の電気を復旧させた。
「しかしさあ…そんな涼しい顔して堂々と覗きなんて。しかもアーシェちゃんのハダカをみてたら興奮して鼻血出しすぎて、意識
失っちゃったわけでしょ??バカじゃないの??」
「ホント、気絶した上電灯に倒れこんで、風呂場全体の電気のコンセントを抜けさせてしまうなんて、はた迷惑といったら無いよ
ね」
瀬名とセイジュに一斉に罵倒されるユナン。
こいつら自分達だって覗いていただろうに…なんでそんなに自分のことを棚にあげられるんだ。
「それにしても、女の着物なんて着て…そもそもお前がなんでこんなところにいるんだ。魔界へ帰ったんじゃなかったのか」
ユナンの説明は要約すると、
アーシェにどうしても未練があったので魔界へ帰る気になれず、人間界で働こうと思った。
しかし近くに住んでいるのは辛いので、たまたまこの温泉地で住み込みで働かせてもらうことになり、女将に世話になっていた
が、美人女将の大人の色気にやられて、愛人関係になった。
そうして毎日毎日Hなことばかりしていたら、女将がユナンの肉体に溺れ働く意欲をなくしてしまい、代わりに働こうと思った。
と、そんなところらしい。
まったくの無表情で、楽しいことなんて何もなさそうな語り口の割に、めくるめく愛欲に絡んだ生々しい話に、聞き手の3人の表
情も幾分引き気味だった。
「女将にとって私のプレイは…、いままでのどんな男のものよりも、甘く激しく…特別で。見た目に反して意外とワイルドで強引な
のね…と、よく、褒めていただきました…」
「いや、自慢話はいいから」
セイジュが涙目で話を遮る。
どう聞いても内容は自慢話なのに、どこか感情の入っていない棒読みなのが更に腹立たしい。
「着物については、…他のどんな仲居よりも似合うからと。女将が特別に高価な着物を仕立て、着付けてくれたのですが、さす
がに女将の仕事としては、まだまだ未熟で…『女将』と声をかけられると逃げてしまうという有様…」
…それにしても。
一応顔見知りのはずなのに。着物を着た後姿に騙され全く正体を見破れなかったことにレニは深い落胆を感じていた。
いかに美しいロングヘアでも、華奢な体つきでも、貴族らしい物腰であっても、男は男。
一時はアーシェにすら遠慮立てしてしまった過去の自分を殴り倒してやりたい。
そして、名探偵も失格だ…。
いや、所轄の鬼警部だったか…?
どちらにしろ、俺にはもう事件に関わる資格は無い。
今日の心の傷は胸にしまい、明日からまた新たな気持ちで頑張ろう。
そんな風に、ネガティブな気持ちを抑えて前向きになろうとするレニの前に、人影が立った。
「…ねえレニ?そして、セイジュ、瀬名、ユナンまで…。一体ここで、何をしているの…?」
「…!!」
アーシェだった。
きちんと服を着ていた。
でも、幻かと思った。
そうだな、お前一筋なんていいながら、男に対して心が揺らぎそうになっただなんて…。
「どうして揃いも揃って、こんな露天風呂が丸見えなところで集まってるのよ!!もう!信じられない!!私がひとりであんなに
怖い思いをしていた間に!みんなでよってたかって覗きだなんて!もう!最低!最低!最低!」
ぽかぽかぽか……
アーシェは目に涙をためて男どもを叩いてくる。
「違う!違うんだアーシェ聞いてくれ!俺は!俺は覗きはしていないんだ…本当に、殺人事件を追っていただけで、俺は残念な
がらお前がいたことにすら…」
「言い訳なんてしないでよ!!レニの偽善者!!もうっ、これでも、くらえー!」
どかん!!
魔力をほとんどもたないはずのアーシェが、怒りの為かたまたま放出された魔力の爆弾は、偶然にもレニただ一人に向けて放
たれた…。
*
「ねーねーアーシェちゃん、ごめんってば!この通り、ほらセイジュもちゃんと、謝んなよ〜」
「ん、まあ、すまないとは…思うけどさ…」
お風呂から出たあと。
突発的大怪我で休んでいるレニを置いて、瀬名とセイジュは必死にお姫様のご機嫌を伺いつつ、もてなしている。
そんな二人を尻目に、アーシェはずっと涙目のままぷりぷりと怒っていた。
「絶対に許せないもん…皆で私を置いて遊んでた上、覗きだなんて…パパにだってハダカ、大きくなってからは見られたこ
とないのに…」
そんな風に本気で悔しそうに涙ぐんでいる姿は不謹慎だけどやっぱり可愛いなあ、と、瀬名は思う。
申し訳ないと思っているのは確かだし、ここはしっかり元気付けてあげないと。
「ほらほら、アーシェちゃん!卓球台あるよ!一緒にやろうよ!!温泉って言ったらやっぱり卓球なんだってば!楽しいよ〜」
「見てよ、アーシェ。温泉饅頭。木彫りの熊でもペナントでもなんだって好きなもの買ってあげるから。そんなに怒ることないだ
ろ?もう機嫌なおしなよ」
そんな風にはしゃいでいると、先をあるいていた彼女がふっと立ち止まり、振り向く。
「ねえ瀬名。それじゃあひとつだけ教えて?なんで旅行に行こう、なんて誘ったの?まさかお風呂を覗くのが目的??」
それも、あるけど。
なんて口が滑りそうになったりするのを、必死で堪えて。
「さっきもちょっと言ったけど、そうだね、えっと…修学旅行をやり直そうと思って」
「…?しゅーがく…」
「皆で一緒に楽しいことしたり、きれいな景色をみたり、怖い話をしたり。思い出をつくったり…それが『修学旅行』。だから僕も、とにかく、君との時間の何もかもを、一緒にすごしたかったんだ。他の誰とでもなく、君と」
「瀬名…」
びっくりしたように目を見開いて、ちょっとだけ恥ずかしそうに頬を染める彼女を改めて可愛いと思いながら。
「ねえアーシェ。もしも君が許してくれるなら。君は僕と、僕達と一緒に『思い出』、作ってくれる?」
そう言って、瀬名はそっと、アーシェの手を取る。
優しく。
想いを込めて。
「わかった…もん。それじゃあ、瀬名。まずは『タッキュウ』教えて!それからセイジュ、あとでレニにもお土産買っていくんだから!『温泉饅頭』いっぱい買ってもらうんだからね!」
「はいはい。ついでにいちご大福なんかも探しておくよ、これは特別に、お姫様のために」
二人だけの、というような期待したものにはならなかったけれど。
それでも、瀬名にとっては、
確かに、
それは特別な一日となったのだった。
「ありがとう、アーシェちゃん…」
*
その後の楽しい旅館での宿泊に、重傷のレニは一人寝込んで過ごすことになったのだが、
責任を感じたのかユナンだけは、ずっと枕元にいてくれた。
「本当に私のせいで…申し訳ありません…。今日はずっと寝ないで看病しますから、どうか許してくださいましね…」
そんなことをいいながら、無表情で、ずっと目を開けたまま正座してレニの顔を無言で凝視しつづけるユナンは、
まさしく旅館の怪奇現象のように、この世のものとは思えなかった。
「正直、嬉しくない…出てってくれ…」
そんなレニの懇願にも答えず、一晩中ユナンが寝ることもなく責任を果たし続けたのは言うまでもない…。
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