十字架と天然  京吾/武藤/若頭

「黄泉の国ハデスを流れる、忘却の川。
その水を飲むと生前のいっさいを忘れるので、死者が再び生まれ変わる時に飲むという。

つまりお前は、そんな名前なんてつけちゃって
本当のところ、面倒くさいこと全部忘れたいんじゃないの。」






極道同志の間における一対一での初対面。
油断はするまいと、覚悟を決めてきたつもりだった。
お互いの正体は隠したまま、社会生活に溶け込んだフリをしているもの同志。
表の顔はあくまでも社会を欺く為のもうひとつの顔。荒事になることにも備え、怪我のひとつやふたつは覚悟していた。
また、こちらから頭を下げて頼みに行く以上、金銭以外でも相当の代償が必要であることも覚悟の上だった。
しかし、約束の場所で、相手が発した言葉は、京吾の想像を超えたものだった。

「メロンパン買って来い」

一瞬、京吾は度肝を抜かれた。
しかし、それを見抜かれるわけにはいかない。
奴には何か裏があるのだろう。内心の動揺を気取られないように京吾は考える。
幸い、今日は鈴木と遊んでやっている時にたまたま購入して余っていたメロンパンを所持していた。
(つまり昼休みにも同じ台詞を鈴木から聞いている)
奴は無茶な要求を押し通すことで、優位を確立しようとしたのかもしれないが、運が悪かったと言うべきだろう。
今日の俺にその手は・・・効かない・・・!

どん!

「もう買ってあります」
「おー」

ちょっと嬉しそうな顔をしておもむろに受け取ると、早速もそもそと食べ始めた。
もそもそ・・・もそもそ・・・もそもそ・・・。
「飲み物は?」
「ブルーベリーヨーグルトでいいですか?」
「やだ」
「他には何も無いです」
「じゃあ、それでいいか・・・口の中、もそもそするし・・・」

じゅるるるる・・・・・。
武藤がブルーベリーヨーグルトをすする音を聞きながら京吾は、なんか悔しいと思っていた。
ちょうどいいところにメロンパン持ってきた自分の用意のよさを少しくらい立ててくれてもいいくらいなのに、
実際は一緒に持ってきたヨーグルトに不満げな顔すらされる始末・・・。
栄養あるのに・・・。

「ところで本題ですけど」
「いいよ」
「薔薇の刺青を背中に彫ってほし・・・え・・・?」
「刺青なら彫ってやってもいい」

教師、武藤一郎。又の名を天才刺青師、無為。
京吾はこの日のために、あらゆる手を使って、無為に刺青を彫ってもらう手を考え込んでいた。

無為は気難しい男で、無為本人の目に叶う者以外には、どんなに金を積まれても決して彫ることは無い、といわれている。
その基準は、いろいろと噂されているものもあるが、まだ良く分かっていない。
ただし虎桜組若頭、那由多龍の背中には見るものを圧倒するような見事な昇り龍が描かれているのを
京吾は知っている。
つまらない僻みやライバル意識などではない、と思う。
ただ、試したいのだ。
今の自分がどれほどのものであるのか。
それはたとえば天才と呼ばれる男の目から、どのくらい認められるものであるのか。

いずれにせよ、あとは自分の実力でこの天才をその気にさせる手腕がためされるだけ、そう思っていたのに
「顔が可愛いからね」
顔だった。
「じゃあ、早速、準備してくるから、待っててよ。全裸で」
全裸かよ。
「先にシャワー浴びてこいよ・・・」
やっぱり、帰ろうかな・・・。






そんなこんなで、早速作業が始まることになった。
(全裸は勘弁してもらえた)
「んーと、で、何彫りたいんだったっけ・・・。」
「薔薇を・・・お願いしようと、思ってました・・・。背中に。白くて、小さくても立派に、美しく、繊細なイメージが・・・」
花言葉は、高貴。
そう教えてくれていたのは母だったろうか。
そしてそれはもう自分の記憶の中にしか居なくなってしまった、亡き父のイメージともかぶってくる。
そんなことを考えていると、武藤は既に京吾の身体に針を入れようとしていた。
「ちょ・・・先生!そこ、背中じゃな・・・っっ!」
「んー、あれ?肩じゃなかったっけ・・・」
やっぱり、この人、人の話聞いてない・・・。
京吾はうなだれる。
学校の担任をやってる時から確かにそんな感じだけれども、一応本職のはずだし、さすがにこっち方面に関してはそんなにいい
加減なはずがないだろうと思っていた。
でも、本来物凄く金額の張るであろう作業を、仮にもメロンパンとヨーグルトのみで彫ってもらっている身なので、あまり文句はい
えない・・・。
「つ・・・くうっ・・・ん・・・ふぅ・・・」
彫られている部分からじんわりとつたわる、刺すような痛み。
実際に針を刺されているわけだが、これまでのどんな痛みとも違うその感覚に京吾はただじっと耐える事しかできない。
「これでお前、半袖とか着たら、ヤクザってばれちゃうね・・・。ふふ・・・
体育の授業も出られなくなるし・・・。ちょっとモテ度さがっちゃうんじゃないの・・・
ぷぷ・・・ざまあみろ・・・」
こちらが反論できないのをいい事に、何気に不穏な発言をされている気がする。
というか、教師の癖に生徒がモテるのが面白くないんだ・・・大人気ない・・・。
「く・・・ううっ・・・んんぅ・・・はあっ・・・」
「まー、お前も大変だよね。ヤクザなのに優等生なんてやって・・・おまけに、なんだっけあの変な名前のさあ、・・・ねえ天音?・・
・もしかして、寝ちゃった?」
寝られるわけが無い。痛みに返事が出来ないだけだ。
「レ・・・レズ・・・?じゃなくて・・・レア?レトロ・・・レトルト・・・カレーたべたい・・・じゃなくて、スカトロ・・・?
あー、そうそうレテ、そうだよね?天音・・・」
この辺りから京吾はもう武藤の言葉が聞こえていない。
ただ遠い意識下で『忘却の川』とかなんとか、武藤とは思えないような博識な様子の解説が聞こえてきたような、気がしていた・
・・。





「十字架・・・?」
目が覚めたとき、京吾の腕に描かれていた紋様は、小さな十字架。
極道そのものといったような派手なものではなく、シンプルにまとまった綺麗なもの。
心配していたような、センスを疑うような出来ではない。
ただしその模様は、極道の自己主張というよりも、遠い昔に罪人が身体に押されていたという焼きごてのようにも見えた。
そしてそんなところが、不思議と、嫌な気がしなかった。
「今日からお前は『十字架』、だ」
何を勘違いしているのか、得意満面なかんじで武藤は、京吾に通り名を命名する。
「ああ、・・・ありがとうございます・・・。思っていたものよりも、僕にはこれがいちばん合っているのかも、しれない・・・。
あの、御代のほうは・・・」
「そんなものはいらない。何故なら、それ、まだ中途半端だからさー」
「は・・・?」

京吾は耳を疑う。
一瞬でもこの駄目大人の仕事振りを認めた自分が、馬鹿だった・・・。
いっそこの場で廃人にしてやった方が世の中のためなんじゃあないだろうか・・・。
などと人知れず殺気をぎらつかせる京吾に、武藤が続けた言葉は

「お前が、まだ中途半端だから」

その言葉が、不思議と、京吾の胸を打った。

「いつかお前が完成したら、自分で完成したって思うことが出来たら、そのときはまた来たらいい・・・」
「武藤先生・・・」

いつか、自分が完成することがあるのだろうか。
憎しみに囚われ、復讐に心を燃やしながら、
そんな自分をどこかで否定している部分がある中途半端な、自分に。

「おー、待ってるぞ、レザー」
「それは革製品の総称です」
最後まで、分かりにくいボケだった。
どこまで、計算なのかちっとも分からずじまいだった。

「天然は、苦手なんだよ・・・」
帰り道、そう一人ごちて、京吾は兄貴分の若頭の顔を思い浮かべる。
中途半端な自分はあの人と較べてもまだまだ至らない場所に居るんだなと妙に納得して、京吾は虎桜組への帰路に着いた。


「なーなー京吾、お前、夜の世界で名乗ってる名前!あれ何ていったっけ??
確かレのつく・・・レミ?レバー?レモネード?あっ、なあなあ、レモネードって良くない??お前そっちにしろよ!栄養あるし」
帰宅早々、相変わらずハイテンションで明るく迎えに来てくれる若頭に対して、京吾はちょっとした畏敬の念を覚えつつ、聞こえないように静かに、つぶやいた。

「やっぱり天然は・・・苦手だ」



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