湯けむり旅情大作戦!(前編)   瀬名/アーシェ/セイジュ/レニ/他



「海だ、海!うーみー!」
「はは、あんまりはしゃいでると転んじゃうよ〜」

とある冬の日の週末。
瀬名はアーシェを連れて、海辺の温泉旅館を訪れていた。

「馬鹿馬鹿しい、海なんて近所でいつも見てるだろう」
「田舎だよね。寒いし、不便だし。こんなところに好きこのんでくる奴の気が知れないよ」
…招かざるとりまきを二人ほど、連れて。

海とはいってもいつも見ているような港の穏やかな海と違い、
荒々しく切り立った断崖絶壁の崖の上に立つ岬の淵に、その旅館はあった。
町から一歩も出たことのないアーシェにとって、北国の山々や、荒れ狂う日本海を見下ろす岬、
そしてそこで出される珍しい海の幸や山の幸と、日本家屋の風情を存分にあしらった高級客室の佇まいはアーシェに新鮮な驚
きをもたらすに違いない。

そう思っていた瀬名にとって、二人の参加は計算外だった。

「レニ、セイジュ。不満があるなら帰ってくれて構わないんだけど?僕が招待したのはあくまでもアーシェちゃんのみで、君達のこ
とは別にどうでもいいっていうかさ。正直、邪魔なんだけど…」

「また、そういうこと言う。僕達が一緒に来て魔力をつかってあげたおかげで、四人とも旅費もかからずあっという間だったのに。
だいたい君ごときにまかせていたら、ここまで来るのにアーシェが電車を何時間も乗り継いで面倒な思いをしなくちゃならなくなる
じゃないか」
と、セイジュ。

いや、それが旅行っていうものだと思う…。
二人ではじめてみる景色を楽しんだり、ちょっとしたトラブルを切り抜けたりしながら、日常とは違うお互いの側面に感心したり、
ときめいたりしながら、絆の深さを強めていく。
そういう時間を求めてたのに…。

しかし、確かに保護者に財布を握られているアーシェの立場としてはある意味仕方がなかったとも言える。宿泊費だって別にタ
ダじゃないんだし。
「しかしあの部屋といい…セイジュ達のうちってずいぶん裕福だよね。3人で泊まるとなると結構な額になるけど、もちろん大丈夫
なんだよね??」
確認の意味で、念のため瀬名が尋ねると、セイジュがきょとんとした顔で答えた。
「え?だって温泉旅館って要は女将をたぶらかすのに成功したら宿代が無料になるんだよね?」
…なりません。
官能小説とかの読みすぎじゃないんだろうか。
「心配ない。俺達にかかれば、6〜7割の確立で成功する」
にやりと笑って、レニが答える。
なんだか自信たっぷりげだけど、意外と低いんだ…。
「レニ!セイジュ!私も応援するから、頑張って4人分の宿代を浮かせてね!」
「いや、アーシェちゃん、それ詐欺だから…」
いろいろと、意味分かってんのかな、この子…。

「とにかく、女将は僕の知り合いで、すごくお世話になった人だから、今日だって最高級のプランと一番見晴らしの良い部屋を、
特別価格で提供してもらってるんだよ。確かに女将はまだ若くてすごい美人だけど、そういうわけで今日は決して女将に迷惑を
かけないように、ましてやたぶらかすなんて言語道断!絶対にそういうのはやめてよね!」

瀬名は頭をかかえながら、3人を宿へと案内する。
本当にアーシェだけならこんなに悩むことはなかったのに、なんだってこうややこしくなりそうなのがくっついてきたんだろう…。
そんな風に、途方に暮れながら。



「でも、どうして急に旅行に行こうなんて言い出したの、瀬名?」
アーシェが聞いてくる。
「だって君、修学旅行にも来なかっただろ?双子に言いくるめられて。だからその代わりになれば、と思って」
「しゅー・・・何?」
「『修学旅行』。はっ、馬鹿馬鹿しい」
セイジュがはき捨てるように言う。
「最初の何年かはものめずらしさで付き合ったけど、こう何年も学生なんてやってると、集団行動のくだらなさに嫌気がさしてくる
ばかりのイベントだよ。教師は偉そうだし、生徒どもははしゃぎすぎて煩いし。旅先で女の子をたぶらかすのも最初は楽しかった
けど、そんなの地元の子達だけでも充分だよ。アーシェもそんなくだらない行事に参加してる暇があったら、部屋で僕達とお茶で
も飲んでる方がよっぽど有意義だ、って事さ」

…割と学校行事に無関心めのセイジュが、こうも感情たっぷりに嫌がるのも珍しい。
案外、旅先で鹿にでも襲われてトラウマになったとか、そんなところだろうか。

「レニは?」
「…ああ。まあ。そうだ、な…。面倒くさい、から俺もあまり…」
なんか歯切れ悪いな…。
「…あのさ。間違ってたら悪いけど、レニってひょっとして、神社とか仏閣とか、なんとか記念館とか墓碑銘とか、そういういかに
もじじむさいかんじの観光地が大好きだったりしない??週予約した時代劇を夜な夜な一人でこっそり見てたりとか…」
「!!!そんなことは…ないッ!」
見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、赤面するレニ。
いや別に、隠す様なことじゃないと思うけど。

「なあんだ、そうなんだ、知らなかったよ。僕に対してはさんざん面倒くさいなんて言いながら、実はそんなに行きたかったとはね
ー。別に僕に気なんて使わなくても、一人で勝手に行けば良かったのに」
刺々しく、嫌味くさくレニにからむセイジュ。
「違う!俺は別に…」
「ねーねー、だからあ、シューガクリョコーってなんなのー」

そんなやりとりをしながら瀬名たちは仲居さんに連れられて、部屋へと辿り着いた。
「案内ありがとう。ところで今日は、女将は?」
「ええ、すみません。実は先日からちょっと、お休みを頂いてまして…」
「何だって??今日来るって言ってあったのに」
「いえ、別にお客様にご心配をかけるようなことじゃないんです。女将はしっかりしたお方ですし、おそらくちょっとした体調不良
か何かで、すぐに戻ってくると思いますので、どうかご心配なさらずに…」
「それって連絡が取れてない、って事?」
「ええ、まあ…」
困ったような表情で、その場を一刻も早く立ち去りたい様子をみせる仲居。
しかし、困ったのは瀬名の方だった。
女将の口利きで、最高級の部屋とプランを押さえてもらっていたはずなのに、その女将が行方不明となると、正規料金で宿代を
請求される可能性が出てくる。
そうなった時のために、これはやはりレニとセイジュに宿の会計担当者をたぶらかしてもらう必要があるのだろうか?
しかし会計担当者が男だったら一巻の終わりのような…。

そんな風に悩んでいる瀬名を尻目に、アーシェははじめてみる日本家屋の部屋に感激し、駆け回っている。
「見て!見てレニ!見てセイジュ!カケジク!ツボ!タタミ!そして広い広い庭!お風呂もベットも、こんなに広いの!そのうえ、
温泉饅頭が、こんなに!!瀬名!早く来ないと無くなっちゃうよ!!」

ああ、それにしてもアーシェは可愛いなあ…。
喜んでいるアーシェのためならなんでもしてやりたい、という気持ちになりつつ見つめてしまい、なんだか細かいこととかどうでも
良くなってくる。仕方ない。いざとなったら宿代は僕がここで働いて返そう。
と、悲壮なまでの決意を瀬名は胸に秘める。

「アーシェちゃん。喜ぶのはまだまだ早いよ。旅館といったら一番の醍醐味は、なんだか分かるかい?」
「え?えっと…」
するとアーシェは、その大きな瞳を伏目がちにして、一生懸命顎に手を当てながら考えている。その可愛い仕草をいつまでも見
続けていたい気持ちにかられつつ、瀬名はもったいぶったように口をひらこうとした。
「アーシェちゃん、それは」
「殺人事件だ」

…え?誰?何??

よもやさっきの女将の行方不明事件の話を蒸し返そうとしているのか??それに関しては僕が旅館で働くことで解決を迎えたと
思ってたんだけど…と瀬名が目を白黒させていると、レニが自信たっぷりの口調で続けた。

「ここへ来た時から、うっすらと考えていた。冬の海、切り立った崖。人気のない宿。俺はテレビなどで見たことがある。これは止
むおえない事情で殺人事件を起こさなくてはならなくなった容疑者が懸命に旅館に身を隠しつつ、クライマックスで名探偵に追い
詰められた結果、岬で涙なくしては語れない動機を自白しながらも、最後には警察が止めるのも振り切って崖の下へと身を投げ
打つというパターンに酷似している」

…こいつバカだ。
さっきから大人しいと思ってたらそんなこと考えてたのか…と瀬名は頭を抱える。

「そういやあさっき、女将が行方不明とかなんとか言ってたよね。おあつらえ向きに」
「ああ。事件のはじまりだな」
「じゃあ僕、名探偵役がやりたい」
「そうか。なら俺は所轄の鬼警部役で妥協しよう」

…双子そろってバカだ。
っていうかこういうときだけは、結構仲いいな…。

「そうじゃなくて。温泉。アーシェちゃん、この宿の湯はちょっと有名なんだよ。ちかくにある活火山からじかに湧き出る豊富な湯
量が自慢で、肌にいい成分がたっぷりの天然温泉なんだ。そのうえ、露天風呂を囲むのは名人と呼ばれる庭師の粋を集めて丁
寧に手入れされていて、見ているだけで四季を感じ取ることが出来るという国内有数の極上の日本庭園なんだ」

「わあ、楽しみー、ね、瀬名!早く行こう!私、はやく温泉入りたい!」
「駄目だよ〜、アーシェちゃん。お風呂には男女一緒には入れないでしょ?どうしても僕と一緒に入りたい、っていうんだったら、
別だけど?」
「…!!もう!瀬名ってば…分かったもん。じゃあ先に行ってるから、終わったら皆で遊ぼうね!」
…かかった!

真っ赤になってふくれてみせると、アーシェはさっそくお風呂道具を取り出して、女風呂へと走っていった。



「ふ、ふふ、ふふふふ……」
アーシェのいなくなった部屋で、瀬名は含み笑いを漏らす。
「どうしたのさ、瀬名。気持ち悪い笑い方して」
「よくぞ聞いてくれたね、セイジュ。君達は修学旅行に参加しなかったから知らないだろうけど、うちのクラスの男子はこの僕を中
心としてあるイベントを行っていたんだ。求められる経験とリーダーシップ、そして何よりもありあまる情熱。そんなものをこの僕は
、僕だけは持ち合わせていた…」
瀬名の先程までとは打って変わったような気迫に、セイジュは少したじろいだようだった。
「それは…、瀬名、貴様一体、何を企んでいる??」
「ふ…それは、男のロマン。またの名を、『風呂覗き』」
「な…なんだって!!」

瀬名はその目に深い闇を湛えたまま、邪悪な笑顔で先を続けた。
「くく…、盛り上がったよ、今年は。この僕が立てた完璧なプランとスケジュール。そして今年の宿泊先では絶好の覗きスポットが
存在していた。最終的には他の男性宿泊客や、教師達をも巻き込んで、大盛況のまま滞りなくイベントは終了した」
「くっ…、僕は今ほど、修学旅行に行かなかったことを後悔したことはないよ…」
「だがしかし!僕にとって、いや僕らクラスの男子全員にとって、残念な心残りが一つだけ存在した!それが、あのアーシェちゃ
んが旅行に参加しなかったことだ!クラスの、いや学校中の女子の中でダントツの可愛さを誇るアーシェちゃんが!そこでただ
風呂を覗いているだけで拝むことのできたはずのアーシェちゃんの肢体が!今回の旅行では!拝めなかった!!」
瀬名の熱を含んだ語り口にセイジュも、いやがおうにも熱を高められる。
「なるほど…それで今回の温泉旅行というわけか!君にしてはなかなか、やるじゃないか…!」
「っ…バカか、お前ら」
そこで入った横槍は、レニの声だった。
「風呂なんて覗いて、何が楽しいんだ」
そういって切り捨てたレニの一言に、セイジュは逡巡する。
「イヤなら来なければいいさ、レニ。僕についてくれば簡単に風呂が覗けるのに、見栄をはるなんて、勿体無い話だと思うけど。僕らは僕らで、楽しんでくるから」
瀬名がそういうと、セイジュは決意を固めたように瀬名に向き直って、宣言する。
「そうだね。何しろレニは単なる偽善者だし、あんなのはほっておいて、それじゃあ早速、風呂へ行こう、瀬名!」
「彼女が風呂に入る時、一体身体のどこから洗うのか。湯につかる時髪をかきあげるその仕草。うなじに貼りついた後れ毛。
温まった身体でほんのりとピンク色に染まった頬に、リラックスから来る普段は見せないような至福にして油断した表情。そんな
ものを、せいぜい一人で想像して身悶えていたらいいよ」
そんな捨てゼリフを瀬名は言い残して、セイジュと二人、男風呂へと向かったのであった。


続きます…






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